やさしい霊的真理

スピリチュアリズムに基づいた生き方をご提案していきます

日記📖☡✍

コロナウイルスで制限のかかった生活も三年目。

もうマスクにも慣れてしまいましたね😷

最初はどこへ行くにも鬱陶しかったのに。

 

先週コロナワクチン3回目の接種に行ってきました。

初めての集団接種で緊張したけれど、沢山のスタッフが一生懸命誘導してくれて、とてもスムーズに済ませることができたので助かりました。

 

経過はというと、2回目よりも副反応が軽く済んでくれたのでこれまた助かりました。

軽い微熱と、腕の痛み。

そして、何故かハイになる😅

じっとしていられなくて、家の中片付けたり床の雑巾がけしたり、色々やってスッキリしました✨

 

とても寒かった冬が急に春になって、あちこち早咲きの桜も咲きだしています🌸

木も、鳥も、空も、何も前と変わらないのに人間だけがコロナウイルスのことで右往左往している…。

 

何にせよ自分達にかかってくることなら自分達に何か原因や理由があるのかもしれないと、私はそう思っています。

 

 

愛と光をこめて

 

 

 

 

類は友を呼ぶ

自分と気が合う、波長の合う人っていますよね😌

例えば一緒にいて居心地が良い人、

笑いのツボが似てる人、

価値観が似てる人、

仲のいい友達や恋人…。

あなたの周りの人達はどんな雰囲気の人が多いですか?

 

自分の周りの人を見ると自然と波長が合う、つまり自分と似ている雰囲気の人が多いのが分かるはずです😊

”類は友を呼ぶ”です。

 

そして”他人は自分を映す鏡”という言葉がありますが、こちらも同じような意味です。

自分が放っているものを周りの人も無意識に感じとり、

好きという気持ちは伝わり、好意として返ってきます。嫌いという気持ちも伝わり、悪意として返ってきます。

普段何も感じていないようで、実は全ての人間には相手の雰囲気や波長を無意識に感じとる力があります。

もし今、あなたに気に入らない人がいたとします。

もちろん距離を取るのも1つの方法ですが、私は一度視点を変えて見てみることを提案します。

相手のことは変えられませんが、

自分のことは自分次第で変えられます。

どう見ても自分に非は無くて、相手だけが悪く思えても、まずは自分がその人に負の感情を抱いていないか、自分の中をよく見てみてください。

一体、何が引っかかっているでしょうか?

相手の言動によって、あなたの中のどんな感情が反応していますか?

出てきたものに対して何もしなくていいです。

ただ見て、そのことに気付いてください。

するとあなたの雰囲気は自然と変わります。

あなたの雰囲気が変われば相手もきっと何か感じるはずです。あなたの波長が変わるからです。

こちらが優しい気持ちで接するとだんだんと相手も優しい気持ちを返してくれるようになります。

反発してくる人に心から優しくできる人はまずいません。

相手をどうにかして力ずくで変えようとするのではなく、まず自分から変わることをやってみて下さい。

 

 

もう一歩踏み込んで霊の領域の話をしてみようと思います🙂

生まれた時から亡くなるまで人間1人につき必ず一体付く守護霊とは別に、その人間の役割や使命、その人の霊性(霊的進化の度合い)に合った霊的存在が背後霊として付く場合があります。

霊の世界には沢山の界層がありまして、それぞれの霊性(霊的進化の度合い)により住み分けがなされています。

高い界層の霊(高級霊)もいれば、

低い界層の霊(低級霊)もいます。

 

人間に対して「霊性が高いこと」と「霊能力があること」とは違います。

霊性が高い人とは、

たゆまぬ霊主肉従と利他愛の実践によって

高い心境を保つ努力をしていて、

自分より他人に尽くすことを喜びとしている人。

そういう人には霊性の高い高級霊が背後霊として付き、使命を全うするための強力なサポートをしてくれるようになります。

いくら特殊な霊能力があっても、この世の富(名声やお金など)を追求し、肉主霊従になっている霊能者は、霊性も波動も低いため自然と霊性の低い低級霊の餌食となっていることが多いようです。

低級霊には色々な種類があります。

からかい目的の者。

自分が死んだ事が分からずにずっと彷徨っている者。

他にも状況により様々です。

これらは地縛霊として地上に波動が近い所(幽界)にウヨウヨいるため、いわゆる幽霊として霊能力のある人間に知覚されることがあります。

時と場合によっては人間のオーラに引き付けられて出てこられなくなることもあり(憑依現象)、そうなるとその人間は乗っ取られたようになり、守護霊や背後霊のサポートが届かなくなります。

霊能力者(霊感のある人)は普通の人よりも目に見えないものに左右されやすいので、自分のコンディション次第で引き付ける界層の霊が変わります。

つまり、コンディション次第で普通の人よりはるかに憑依現象が起こりやすいといえます。

よって霊能力のある人は、普通の人よりも霊主肉従の努力と利他愛の実践により常に高い心境を保つ努力が必要となってきます。

真摯な姿勢で高い心境を保つ努力をしている人間に、低級霊は絶対に近づけません。

波長が合わないので居心地が悪いのだそうです。

低級霊が好むのは、肉主霊従で利己的な人です。

 

いま世界中の人を不安と恐怖に陥れている某国の大統領…彼にも当然、生まれた時から見守っている守護霊はいます。

地上的にも霊的にも様々な事情が絡んでいますので私の予想でしかありませんが、権力や富に固執しすぎるあまり肉主霊従に傾けば、守護霊のサポートが入る余地はありません。自らサポートを遠ざける形になります。

さらに、肉主霊従になれば霊的に低い状態になりますので、そういう人が引き付けるのは低級霊になります。

”死んだら終わり"では決してありませんので、彼が撒いた種はいずれ彼自身が刈り取ることになることは間違いありません。

彼に戦争を正当化するどのような理由があったとしても自国も他国も関係なく他人の自由を奪い、生命を危機に晒したり奪うなどということは許されることではありません。

誰にもそのような権利はありません。

 

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愛と光をこめて

私たちは決して一人ではありません

だれでも苦しいとき、1度は「神様どうか助けて下さい!」とお願いしたことがあるのではないでしょうか。

 

私はこれまで何回もそうして神様にお願いしてきました。

いくらお願いしても苦しい状況は変わらないので、

「神様は不公平だ」

「神様なんかいない」

「誰も助けてくれない」

と、その都度恨めしく思っていました😢

しかし、そんな風に思うことは次第になくなりました😃

 

スピリチュアリズムが明かす霊的真理に基づけば、

誰一人として神の愛を受けていない者はいません。

そして誰一人として、たった一人で人生を歩んでいる者はいません。

 

基本的に目に見えることしか感じられない私たちは、視野がとても狭いので把握できる範囲がごく限られています。

霊的真理に基づいた"霊的視野"という広い視点で見ようとするとき、原因を作ったのは他の誰でもなく、自分自身であることに気付けるようになります。

そうして自分自身を振り返っていくうちに心は清められ、霊的成長が促されます💫

 

私たちは神からの愛をストレートに受け取ることはできませんが、

常に”摂理”という形で間接的に受け取っています。

摂理(因果律)に基づくと、目の前に起こるすべてのことは既にこれまで自分がしてきたことの"結果"といえます。

辛いときに相手のせいや環境のせいにすることは簡単です。

人によって状況は様々ですが、前世で作ったカルマの清算のための苦しみや、今回の人生を通して克服しようと自ら携えてきた課題もあったりするので、今の自分に身に覚えのないことで苦しまなければならないのは納得がいかない。ということも実際あります。

どんな苦しみにも、敢えて「これはもともと自分が撒いた種だ」と謙虚に受け止めるとき、それもまた原因となり、霊的成長がもたらされるようになるという良い結果として返ってくることになります😊

 

以前ご紹介したように、私は臨死体験を通して自分を、そして全ての人をサポートしてくれている存在がいることを実感しました。

"守護霊"についてもスピリチュアリズムは明かしています。

 

守護霊は、自分と同じ霊格の者の集まりである”類魂”(グループソウル)から一人選ばれ、その人の一生をかけて見守ります。

同じ類魂の出身のため、親以上にその人のことを知り尽くしている存在です。

守護霊の主な役目は、その人が霊的成長の道を歩んでいくようにサポートしたり、時には危険から身を守ってくれるようなこともあるそうです。

私たちを見守ってくれているのなら、なぜ自分の思い通りの幸せになれないのか?という疑問が湧いてきますが、あくまでも守護霊の目指している幸せとは”その人が霊的に成長すること”ですので、そこから大きく外れた自分勝手なお願いや、その経験が霊的成長のために必要な試練の場合、"何もせず見守る"ということをします。

 

今思えば過去の辛い経験は、私にとって必要不可欠な出来事だと分かります。

だからいくらお願いした所で何の解決にもならなかったんだと納得しています😌

 

守護霊は本人の自由意志に干渉しコントロールするようなことは絶対にしません。

なぜなら簡単に手を差し伸べていては、一番大切な”その人が自分の力で霊的成長の道を歩んでいく”ということを妨害することになり、越権行為になるからです。

冷たいように思えるかもしれませんが、”霊的成長を願って本人の自由意志を信じて見守る”という姿勢は、人間の思う愛よりもずっと次元の高い愛ということになります👀

 

なぜ守護霊の働きかけは人間サイドにほとんど分からないのに一生懸命その人のために働くのか?というと、その役目を務めることは守護霊にとっての利他愛の実践になっており、守護霊自身の霊的成長にも繋がる行為なんだからだそうです。

 

守護霊との結び付きは、私達の姿勢次第で強めることが可能です🌈

霊主肉従と利他愛の実践を心がけ、感謝を送るようにしていると、それが伝わり、次第に結び付きが強くなっていきます。

そうすると適切なサポートも入りやすくなり、何となくやり取りができるようにもなります。

こちらから守護霊に対して意識を開いていく姿勢が必要になります。

 

どんなことがあっても守護霊に見捨てられることはありません。

”いつもそばにいて、その時に必要な100%のサポートがなされている”

という安心と信頼を持って、自分から1歩踏み出していく姿勢があれば、守護霊のサポートのもと、あなたの霊的成長は着実に進められていくことでしょう👍🏻✨

 

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愛と光をこめて

原因と結果

霊的成長のための自己努力をしていくにあたり、原則的な"摂理"について知っておくと理解の助けになると思います。

 

摂理とは、大自然を運行している大いなるエネルギー。

万物を創造した神そのものといえます。

※そもそも神や摂理についての概念は私たちが的確に把握できるようなものではありませんので、分かりにくい説明で申し訳ありません。

 

今回ご紹介したいのは「因果の法則」についてです。

因果とは、原因と結果のことですね。

🌱「因果応報」

🌱「良いことも悪いことも自分に返ってくる」

🌱「蒔いた種は自分で刈り取らなければならない」

🌱「蒔いた種の通りの花が咲く」

🌱「相手は自分を映す鏡」

などの言葉を聞いたことはありませんか?

これらを"因果の法則"または”因果律”といいまして、私たちのちょっとした行いの中にも驚くほど正確に働いている摂理の1つになります。

はっきりと目に見えるわけではないので気づきにくく、

とりわけ自分のことになるとなかなか分かりにくいものです。

なぜかというと、みんな「自分は正しい」と思っている(思いたい)ものだからです。

そう思わなければ社会の中で自信をもって一人前の人間として生きていけません。

 

自分のことよりも他人のすることを見ている方が客観視できるぶん、因果律が働いているのがよく分かると思います。

例えば、誰かが「悪いことしたからバチが当たった」などという場合、その人が何か悪いことをした結果、因果律が働き、それ相応の困難の経験が返ってきたということになります。

この"悪い"という基準は"摂理に反しているかどうか"によって決まります。

具体的には…相手のことを考えず自分中心の考えを通そうとしたり、物質的な欲望に走ったりした分だけ悪いことになります。

自分より相手を優先して愛を与え、物質的な欲望より霊優位になるよう努力した分だけ良いことになります。

このように、因果律は悪いことだけに働くのではありません。

良い行いにはそれ相応の良いことが返ってきます。

そう考えると「人のせい」は存在しないことになります。

自分の行いや在り方が、自分の周りの世界を作っています。

周りの人に優しい気持ちを与えれば、優しい気持ちが返ってきます。

反対に、人を見下したり憎まれ口ばかり言っていると…言わずもがなですよね。

 

人間は肉体を持った霊的存在ですので、誰しもに霊的な感性が備わっています。

霊能力者でなくても、相手の発するオーラやエネルギーを感じ取り、そうした言葉以外に伝わってくるもので無意識にその人を感じたり分析しています。

そうした霊的なセンサーを駆使して、相手との波長の合う合わないや距離感をはかっています。

人により個人差はありますが、そのセンサーが全く働かない人は居ません。

 

摂理は完璧ですので、寸分の狂いなく運行しています。

私達が摂理の存在を意識できていないだけで、神がこの世を造った時から現在、そして未来永劫この摂理は同じように働き続けます。

神が直接人間の前に姿を現すということはなく、摂理を通して間接的に人間と地球上のすべてのものに接し、支配しているということになります。

 

摂理には他にも様々なものがあり、詳しくはスピリチュアリズム普及会のホームページをご覧ください。

🍀スピリチュアリズム普及会

https://spiritualism.jp/

 

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愛と光をこめて

 

 

 

 

私たちが生きる意味

前回までに、瞑想は大気に充満している霊的エネルギーを取り入れ、霊主肉従の状態を作り出します。と書きました😊

 

健康な肉体を維持するために食物が必要不可欠なように、霊体にも霊的なエネルギーが必要となります。

本来、人間の体は目に見える肉体と、目に見えない霊体とで構成されていて、その関係は霊の方が肉よりも上位にあります。

 

私たちの本体は肉体ではなく、霊です。

 

肉体をもって生きていると、肉体だけが自分のすべてであるように思われます。

そして、目に見える世界だけがすべてであるように思われ、富や名声など物質的に恵まれた生活がこの世の幸せであるように思われます。

本来の私たちの姿(霊魂)はとても広大なものであり、そのほんの一部が肉体をたずさえて生まれてきている。とスピリチュアリズムは説いています😲

 

この理解のもとに考えていくとすると、

肉体を持った今の私たちはあくまで仮の姿であり、私たちの本体は霊魂ということになります。

なぜ、このようなことを私たちはやっているのでしょうか😯

富や名声が幸せではないとするならば一体、何のために私たちは生きているのか🤔という疑問が湧いてきます。

 

スピリチュアリズムは明確にその答えを示しています。

霊としての幸せ…それは「霊的に成長する」ということです✨

そのためには瞑想によって霊的エネルギーを取り入れ、肉体よりも霊優位の状態を保つことと同時に”霊的真理に沿って心を清めていく努力”が必要になります😌✨

 

”霊的真理に沿って心を清めていく努力”について具体的に言うとすれば…

生きていれば様々なことが起こります。

良いことも、悪いことも。

私たちは様々な感情を持っていますので、出来事に応じた色々な反応をします。

生まれてからこれまでに培った価値観や、考え方のくせも存在します。

家庭でのしつけや学校教育、社会経験を経るうちに、誰しもが人に言われた嫌な言葉や嫌な出来事は胸に深く突き刺さり、少なからず恨みとなって残っていたりします。

 

霊的成長は、そうした困難に対して霊的真理をもって解決していく自己努力、

霊的な広い視野をもって解決を図っていこうとする努力の末になされていくものです💐

 

私ももちろん、まだまだ課題がいっぱいです。

人間ですのでカッとなったり傷つくことも普通にあります。

でも、その都度できるだけ早く霊的真理に立ち返り、自分の外側ではなく自分自身の内側にある問題に取り組んできました。

 

この世は基本的な霊的成長がなされる学びの場として神が造られました。

色んな経験を通じて魂は磨かれ、一定の霊的成長のレベルに達したら、以降は地上に生まれる必要がなくなり、あちらの世界で永遠の霊的進化の道を歩むよう、人間は造られています。

人間として生まれてきたということは、霊としては赤ちゃんレベル👶🏻といえます。

 

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愛と光をこめて

瞑想②

これを読んでくださっている方は多少なりとも瞑想に興味がある方ではないかと思います🧘🏻‍♀️

霊能力を付けるために瞑想したいという方もいらっしゃるかもしれません。

 

本来、霊能力はすべての人間の霊体に備わっているものです。

対して肉体の能力は五感や、運動能力として知覚されています。

 

何かしらの理由があって、霊能者として生きる目的を決めて生まれてきている人たちがいます。

そういう人たちが主に瞑想などを通して自然と霊能力を発現していくようになるのが、正しく摂理に沿った霊能力の開発になります。

 

「霊能力者になりたい」という願望だけで安易に霊能力の開発に躍起になるのは関心しないどころか、”百害あって一利なし”です。

霊能力を獲得したいと願う心の奥には、金儲けや人気取りといった利己的なエゴが潜んでいます。

 

スピリチュアリズムによれば、あくまで瞑想の本来の目的は”霊的成長のための自己努力”なのです。

 

世間で”霊能者”と呼ばれる人の中には無理な修行によって霊能力を身に付けているケースが多くあります。

それは滝行や断食で体に大きな負担をかけて肉体を弱らせ、相対的に霊体の能力を多くしているだけに過ぎません😣

そうした行為は自然の摂理に大きく反しています。

獲得した霊能力もサイキックレベルにすぎず、霊界の高級霊からすれば使い物にならない能力なのだそうです。

無理に身に付けた霊能力を使ってこの世的な利益(金銭や名声など)ばかり求めるようになると、高級霊を引きつけるどころかたちまち低級霊の手先となってしまいます😥

 

霊界の高級霊が利用できる霊能者とは…

『もともと霊能者となる素質をもって生まれ、

霊的真理に沿って常に自分を正し、

お金儲けや人気取りに走らず、

人のために自分を犠牲にできる人』

と、言えるでしょう✨

 

霊能力の獲得は「どちらでもいいこと」なのです😊

私も元々は、目に見えない世界や霊能者に憧れていました。

小さい頃は冝保愛子さんや織田無道さんのテレビ番組を食い入るように見ていました。

(お2人が本物の霊能者かどうかは私には分かりません)

ヒーリングの勉強がしたいと思った理由の中にもそうした不純な動機が含まれていました。

でも、勉強が始まったと同時にスピリチュアリズムにも出会い、本物の霊的知識に触れてそれまでの浅はかな考えが変わっていきました。

霊的知識を身に付けたということは、同時にそれを実行する義務が発生します。

真理を知らずにやってしまうことよりも、真理を知っているのにそれを行わないことのほうがはるかに責任を問われることになります。

真理を本来の目的である霊的成長に使わず、この世の富の為に誤用した時は想像も付かない重い罪となって死後の自分に返ってきます。

 

私は霊的真理を知った以上は、霊的真理に沿った生き方をしていこうと心に決めました😌

自分が霊能者かどうかは問題ではありません。

私も別に目立った霊能力などありませんし、普通の人間です。

ただ、霊的真理を知って実践しているという点において、それを知らない人達とはちょっとだけ違う生き方をしているといえるかもしれません。

 

スピリチュアリズムが明かす霊的真理に沿って生きる人のことを”スピリチュアリスト”といいます✨

 

私はスピリチュアリストとしてあなたの意識に多くの変革をもたらし、自分軸を保って明るく楽観的に生きられるようになる、霊中心にした生き方を提案します。

 

このブログを始めたのは、一人でも多くの人にスピリチュアリズムと霊的真理に触れるきっかけを提供し、世の中にスピリチュアリストが増えたらいいなぁと願っているからです🥰

 

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愛と光をこめて

 

 

 

瞑想

ヒーリングの勉強では、まずは毎朝太陽に向かって瞑想する時間を設けるように言われました🌞

”瞑想”と聞いて、最初は座禅のような、修行のイメージで取り組みはじめました🧘🏻‍♀️

細かいことは分からないけれど、なんだか朝日に当たりながら目を閉じているとスッキリして気分が良くなってきます。

ですので特に苦になることなく、現在まで続く習慣になりました😊

 

スピリチュアリズムにおいても瞑想は霊的成長のために最も基本的な自己努力のひとつに挙げられています。

瞑想によって意識を高め、霊と交わる時間をもつことで霊主肉従の状態が作られ、大気に充満している霊的エネルギーを取り入れることができるとされます。

 

実際にまったくその通りで、瞑想によって得られるものは多く、無理なく霊的エネルギーが取り入れられるため、穏やかに霊的成長が促進されていきます✨

 

瞑想をすると、まず驚くのは日々絶え間なく働いている思考です。

何も考えないでいよう!としても、1分も持たずに頭の中で"おしゃべり"が始まります。

たとえば、

「今日これからあれして、これして…。」

「あ~、あの事どうしようかなぁ。」

「あの人に○○伝えるの忘れてた!」

などなど。

 

瞑想が嫌になる・続かないのは主に”静かにじっと座れないから”だと思います。

最初から頭の中を空っぽにできる人は、まずいません。

最初から無になることを目標にしてしまうとできないので続きません。

無になることは”最終目標”です。

 

思考が出てきたら受け流してください。

無理に打ち消そうとすると、逆にどんどん大きくなります。

思考と戦わないこと。ただただ眺める。

眺めて受け流していくことで少しずつ心が落ち着いていきます。

物事を客観視する癖がついていきます。

そうすると、普段の生活の中でも目の前で起こっていることを、もう一人の自分が傍観しているような…。

どこか”他人事”のように思えるようになります。

目の前の出来事や、感情に振り回されることが少なくなっていきます。

ゆっくりと、でも確実に以前はなかったような新たな目線が出来上がっていきます😌

 

そのことを”観照”といい、そのコツがだんだん分かってくると、目を開けて普段の生活をしていても観照者でいることが可能になります👀

”無”の状態はそのずっと先にやってきます。

私もまだまだその道の途中にいます。

無の状態まで到達するのはいつになるか全然分かりませんが、何も努力しなければ永遠にその時がやって来ないということだけは確実です。

 

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愛と光をこめて