前回までに、瞑想は大気に充満している霊的エネルギーを取り入れ、霊主肉従の状態を作り出します。と書きました😊
健康な肉体を維持するために食物が必要不可欠なように、霊体にも霊的なエネルギーが必要となります。
本来、人間の体は目に見える肉体と、目に見えない霊体とで構成されていて、その関係は霊の方が肉よりも上位にあります。
私たちの本体は肉体ではなく、霊です。
肉体をもって生きていると、肉体だけが自分のすべてであるように思われます。
そして、目に見える世界だけがすべてであるように思われ、富や名声など物質的に恵まれた生活がこの世の幸せであるように思われます。
本来の私たちの姿(霊魂)はとても広大なものであり、そのほんの一部が肉体をたずさえて生まれてきている。とスピリチュアリズムは説いています😲
この理解のもとに考えていくとすると、
肉体を持った今の私たちはあくまで仮の姿であり、私たちの本体は霊魂ということになります。
なぜ、このようなことを私たちはやっているのでしょうか😯
富や名声が幸せではないとするならば一体、何のために私たちは生きているのか🤔という疑問が湧いてきます。
スピリチュアリズムは明確にその答えを示しています。
霊としての幸せ…それは「霊的に成長する」ということです✨
そのためには瞑想によって霊的エネルギーを取り入れ、肉体よりも霊優位の状態を保つことと同時に”霊的真理に沿って心を清めていく努力”が必要になります😌✨
”霊的真理に沿って心を清めていく努力”について具体的に言うとすれば…
生きていれば様々なことが起こります。
良いことも、悪いことも。
私たちは様々な感情を持っていますので、出来事に応じた色々な反応をします。
生まれてからこれまでに培った価値観や、考え方のくせも存在します。
家庭でのしつけや学校教育、社会経験を経るうちに、誰しもが人に言われた嫌な言葉や嫌な出来事は胸に深く突き刺さり、少なからず恨みとなって残っていたりします。
霊的成長は、そうした困難に対して霊的真理をもって解決していく自己努力、
霊的な広い視野をもって解決を図っていこうとする努力の末になされていくものです💐
私ももちろん、まだまだ課題がいっぱいです。
人間ですのでカッとなったり傷つくことも普通にあります。
でも、その都度できるだけ早く霊的真理に立ち返り、自分の外側ではなく自分自身の内側にある問題に取り組んできました。
この世は基本的な霊的成長がなされる学びの場として神が造られました。
色んな経験を通じて魂は磨かれ、一定の霊的成長のレベルに達したら、以降は地上に生まれる必要がなくなり、あちらの世界で永遠の霊的進化の道を歩むよう、人間は造られています。
人間として生まれてきたということは、霊としては赤ちゃんレベル👶🏻といえます。
愛と光をこめて