以前、あるトラブルがきっかけで警察に疑問を抱いたことがありました。
相手は某宗教団体で立場がある人物。
周りの支えのおかげで相手に何とか一矢報いることができましたが、そこまで行くのに一市民レベルの話でも様々な妨害に遭いました。
途中で根負けしていたら、そのまま泣き寝入りだっただろうと思います。
精神が消耗して難聴にもなりました。
残念ながら今も完治していません。
市民が困っても警察は相手次第で助けてくれないと知りました。
こんなことが罷り通ってることが信じられませんでしたし、不信感だけが残りました。
テレビでは決して触れられていませんが、
いま既得権益に世の中の目が向いています。
勇気ある人
失うものがない人
世の中が良くなることを願う人
こんな人達がインターネットの中から声を上げようとしています。
権力やお金をベースに成り立つ世の中に光が差してきているのです。
これから世の中の価値観が少しずつ変わっていくでしょう。
その第一歩を私は大いに歓迎し、応援します。
利己愛ではなく利他愛へ。
自分さえ良ければ良いのではなく、他者への思いやりをベースにした世の中へ。
それこそがスピリチュアリズムの目指す霊的同胞世界であり、私達の知らないところで着々とそのための働きかけがなされてきていることがすでにスピリチュアリズムによって明かされています。
この一連の流れは突然降って湧いたものではなく、霊界の主導で計画的に進められている流れだと私は確信しています。
どんな人も神の創造物であり、内部には神の光のひとかけら(神性)を付与されています。
利他愛をより多く発揮することは神性を顕現することであり、そのことを通してミニチュアの神となるように人間はそもそも造られています。
自分のことよりも他人のために働ける人が、そうでない人よりも多くの神性を顕現し、霊性が高く優れた人間であるといえます。
人間にとって地位や名声やお金よりも大切なこと、それは神によって与えられたこの人生を、人のために使って霊性を磨くことです。
つまり、人のために働くことは結果的に自分のためになるのです。
人のために自分を犠牲にすることは損をするどころか、何ものにも替え難い霊的宝を手にすることになります。
利他愛を実践しようと努力した分だけ相手をゆるすことができるようになります。
一歩ずつ一歩ずつ。
努力をしたらしただけ、
ゆっくりと確実に霊的進化はなされていきます。
愛と光をこめて