やさしい霊的真理

スピリチュアリズムに基づいた生き方をご提案していきます

青空に瞑想する

青空はあなたの本質とし

雲は思考・マインドとする

 

あなたの本質は常にそこにあるのに

絶えず流れてくる思考で見えなくなる

 

青空に

あなたの本質に繋がることをイメージして

 

思考は絶えず流れる雲のよう

雲に覆われていても

その奥には変わらぬ青空がある

 

 

🌞OSHOの瞑想の技法より

私の好きなものを紹介しました。

 

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愛と光をこめて

少しでも多くの方に知ってほしいこと

私達は決して1人ではありません。

生まれてから今まで、そしてこれからも。

例え不幸な境遇で生きていかないといけないとしても

神は人間をたった1人で地上に下ろすことはしていません。

決して霊的次元において孤独な人はいません。

 

霊的真理が明かすところによると、

母親の胎内に宿った時から肉体を去る時まで

あなたに霊的に近しい存在が”守護霊”として

一生をかけて見守っています。

 

守護霊という存在は

あなたのことを全て知っていて、

時には優しく

時には涙をこらえて

辛抱強くあなたを見守ってくれています。

 

霊的真理が明かすところによれば、

”人間である前に1つの霊として霊的に進化成長していくこと”

これこそが人間が生まれてくる真の目的です。

その本来の目的の達成をサポートすることが

守護霊の目的であり、最大の喜びとなります。

 

あなたが自主的に

自らの自由意志のもとに

霊的成長をすること。

つまり、

思いやりをもって人の役に立つことをすること。

さらには、

自分を愛する以上に他人を愛すること。

 

そうした利他的な行為を日々実践できる人が

より高い霊的進化をしているといえます。

 

あなたがいつか死を迎え

肉体を脱いだあと

死の自覚を得ると一気に霊的視野が開き、

守護霊の姿が見れるようになります。

守護霊は、あなたが然るべき所へ行くための道案内をしてくれます。

 

ここからは厳しいことを敢えて書きます。

あくまで感情を外して、

霊的真理を元にして考えるなら、

こうした厳然たる事実を元にするなら、

人間が犯してはいけない最大の”罪”

それは自分自身の手で死を選択すること。

これは重大な摂理違反となります。

 

自死することは、神からいただいた生命を、

せっかくの霊的成長のための人生を送るチャンスを

自分勝手に終わらせることに外なりません。

 

自死は神の摂理違反であると同時に

周りの大切な人達を間違いなく傷付けます。

人を傷付ければ必ず自分に返ってきます。

 

肉体は無くなっても人間の霊は永遠に存在します。

よって自死によって亡くなった後には

楽になるどころか非常に辛い境遇に置かれ、

長期間にわたる重い罰を受けることになります。

決して”死んだら終わり”ではないのです。

 

どんなに辛く苦しくても

必ず何か解決の糸口があるはずです。

どんな人にも親より深い愛情で見守っている守護霊がいるのですから。

 

乗り越えられない壁は与えられません。

乗り越えた先に大きな成長があります。

どうか生きるのを諦めないでください。

 

私もいつどうなるか分かりません。

でも、

神からいただいたこの貴重な地上人生の機会を

必ずどんな形でも生き抜いて

精一杯の霊的成長を成し遂げてから

いつか笑顔で死を迎えたいと願っています。

 

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愛と光をこめて

今を生きる

起きてもいないことを想像して不安になる

過ぎたことを気にして不安になる

あなたは今を生きているとは言えない

あなたが生きているのは今この瞬間なのに

 

どんな人にも平等に与えられている”時間”

同じ日は二度と来ない

限られた時間の中で”今”を精一杯生きること

 

悔いのない人生を送りたい

何をもって「悔いがない」というかは人それぞれ

何もしないのも自由

何かを成そうとするのも自由

 

人間には自由意志が与えられている

私は自分自身の自由意志で進化向上したいと願っている

 

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愛と光をこめて

失敗から学ぶ

分かっているつもり

できているつもり

実際は

とっさに行動に移せなかった

自分を守りたい気持ちが勝ってしまった

 

後悔と反省。

失敗した時はなるべく早く切り替えていこう。

必ず次に生かせるように

そうして少しずつ少しずつ

成長していけると信じていくしかありません。

 

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愛と光をこめて

大切なこと

春になると、

一斉に美しく咲くお花🌷︎

青々とした若葉🌿

ちゃんと時期が来たら咲き、

役目が終わると枯れていく。

 

人間もまた同じ、

生まれて死んでいく。

様々な出会いやドラマを経験しながら、

失敗しながら学びましょう。

間違いは誰にでもあるものです。

間違いが分かった時点でやり直せばいいだけ。

失敗は自分の生き方、考え方を見直すチャンスです。

 

何もかも完璧な人間は地球上に存在しません。

霊的に未熟な魂が、まず最初に基本的な霊性を身につけるために用意された場所だからです。

この世は経験を通して様々なことを学ぶために神が用意された、魂のトレーニングセンターです。

 

地位や名誉のある人が優れているという価値観は、

視野の狭い人間だけの価値観です。

優れた霊性の持ち主は地位や名誉に興味がありません。

それよりも、

自分のことを犠牲にしてでも人に尽くすことに何よりも喜びを感じ、

見返りを求めず、純粋に人のために自分を役立たせることを優先できる人が、

優れた霊性の持ち主といえます。

 

そうありたいと日々意識して努力をしていても、私自身まだまだと感じます。

満足することはこの先ないでしょう。

まだまだと感じるからこそ向上していけます。

常に自分を正していくことは並大抵ではありませんが、

この生き方は私にとって本当にしっくり来ます。

何の魅力を感じない人は時期尚早といえます。

そのことを非難するつもりは一切ありませんが、

いつか誰もがこの生き方に行き着きます。

なぜなら人間は、本質的には霊的進化をするために存在しているからです。

 

これを読んでくださっているあなたが、

私の生き方に共感していただけるのなら

一緒に出来ることからやっていきましょう。

 

明確な知識を持って正しい努力していくことは

あなたの霊的進化の大きな助けになります。

 

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愛と光をこめて

霊的同胞世界へ

以前、あるトラブルがきっかけで警察に疑問を抱いたことがありました。

相手は某宗教団体で立場がある人物。

周りの支えのおかげで相手に何とか一矢報いることができましたが、そこまで行くのに一市民レベルの話でも様々な妨害に遭いました。

途中で根負けしていたら、そのまま泣き寝入りだっただろうと思います。

精神が消耗して難聴にもなりました。

残念ながら今も完治していません。

市民が困っても警察は相手次第で助けてくれないと知りました。

こんなことが罷り通ってることが信じられませんでしたし、不信感だけが残りました。

 

テレビでは決して触れられていませんが、

いま既得権益に世の中の目が向いています。

勇気ある人

失うものがない人

世の中が良くなることを願う人

こんな人達がインターネットの中から声を上げようとしています。

 

権力やお金をベースに成り立つ世の中に光が差してきているのです。

これから世の中の価値観が少しずつ変わっていくでしょう。

その第一歩を私は大いに歓迎し、応援します。

利己愛ではなく利他愛へ。

自分さえ良ければ良いのではなく、他者への思いやりをベースにした世の中へ。

 

それこそがスピリチュアリズムの目指す霊的同胞世界であり、私達の知らないところで着々とそのための働きかけがなされてきていることがすでにスピリチュアリズムによって明かされています。

この一連の流れは突然降って湧いたものではなく、霊界の主導で計画的に進められている流れだと私は確信しています。

 

どんな人も神の創造物であり、内部には神の光のひとかけら(神性)を付与されています。

利他愛をより多く発揮することは神性を顕現することであり、そのことを通してミニチュアの神となるように人間はそもそも造られています。

 

自分のことよりも他人のために働ける人が、そうでない人よりも多くの神性を顕現し、霊性が高く優れた人間であるといえます。

人間にとって地位や名声やお金よりも大切なこと、それは神によって与えられたこの人生を、人のために使って霊性を磨くことです。

つまり、人のために働くことは結果的に自分のためになるのです。

人のために自分を犠牲にすることは損をするどころか、何ものにも替え難い霊的宝を手にすることになります。

利他愛を実践しようと努力した分だけ相手をゆるすことができるようになります。

一歩ずつ一歩ずつ。

努力をしたらしただけ、

ゆっくりと確実に霊的進化はなされていきます。

 

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愛と光をこめて

ゆるすということ

ダライ・ラマ14世の言葉をご紹介します😃

 

人類、さらにはすべての生きとし生けるもの

―人間も動物も―には、

幸福を求め平和に暮らす権利があります。

これとは反対に、他人に痛みや苦しみを与える権利を持つ者など一人もいません。

 

ゆるしの気持ちを身につければ、

その記憶にまつわる負の感情だけを心から手放すことができるのです。

ゆるしとは「相手を無罪放免にする手段」ではなく、

「自分を自由にする手段」です。

 

愛、ゆるし、思いやりにより、

私たちはさらなる希望と決意を手にし、

より明るい未来に向かって進むことができます。

怒りや憎しみに負けてしまえば、道に迷い、

苦痛に満ちた人生を送ることになってしまいます。

 

思いやりの心は人生で成功する究極の源です。

利己的な考え方は他者を害するだけでなく、

まさに自分が望んでいる幸福を阻害します。

 

私は誰と会おうと、古い友人として迎えようとしています。

このことが私を本当に幸せな気持ちにさせてくれるのです。

これが、思いやりの実践です。

 

ほとんどの人は、思いやりを身につけるのに

一生かかると言っても過言ではありません。

しかもその段階に達して初めて、

私たちは人間としての深淵なレベルの思いやりを体験するようになります。

そう、思いやりを実践することで、

人はさらに思いやりについて学んでいくことになるのです。

 

ほんとうの意味の思いやりは、

まず自分自身に対して向けられるべきものだと思います。

まず自分自身に思いやりを持ち、

それを周りの多くの人たちに向けて広げていくのです。

つまり、

自分自身を忌み嫌い、嫌悪しているような人は、

他者を思いやることなど不可能なことだからです。

 

出典:ダライ・ラマ14世「ゆるす言葉」

 

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愛と光をこめて